イリヤの空、UFOの夏 - 秋山瑞人(2001)

 途中まで、少々壮大なだけの、青春ラブストーリーだと思っていたのだが――いや、確かにそうでもあるのだが、しかし最後まで読み終えて、おれはその感想を捨てることになる。名作であると思うので、少しでも読もうという気持ちがある人は、この先には目を通さずに、是非本作を手に取ってみて欲しい。序盤では、これでもかと言うほどの青春を味わうことができるし、後半では、きっと何か心に残るものがあること請け合いである。

 夏休み最後の日、夜中にプールへと忍び込んだ浅羽直之は、謎の少女と出会う。翌日、その少女は転校生として浅羽の通う園原中学校へとやって来る。名前は、伊里野佳奈。さらに、悪友である水前寺邦博、クラスメイトであり同じ部活動の須藤晶穂、浅羽の妹である浅羽夕子、その他の級友たちによる日常という形で、物語は幕を開ける。部活動や、文化祭。友情、そして恋。何よりも、夏である。つまりは、青春である。

 しかし、やがて戦争が始まり、それは有事休校、疎開といった形で、彼らの日常を蝕んでいく。戦闘機、ブラックマンタのパイロットである伊里野に至っては、そのために使う薬の激しすぎる副作用によって、生命さえも危うい状況に陥ってしまう。伊里野の苦悩を目の当たりにした浅羽は、彼女を救うため、二人で軍から逃亡することを決意する。しかしその逃避行の結末は、浅羽が伊里野を救うことにより、伊里野が死んでしまうという残酷なものだった。そして、伊里野はイリヤの空へと帰り、浅羽たちのUFOの夏は終わる。

 もちろん、すべては伊里野を最後の決戦に出撃させるためでした。それを否定するつもりは毛頭ありません。しかし、だからといって、ブラックマンタのパイロットとして生きてきた伊里野佳奈が最後の最後になってその目で見、その耳で聞き、その肌で感じたものが、それを与えた側の動機の罪深さによってニセモノになるとはどうしても思えないのです。
 あなたは、確かに、そこにいたのです。
 浅羽がいるから。
 佳奈ちゃんにとっては、それで充分だったのだと信じています。
 自分の罪深さと同じくらい、今の私は、そのことを信じています。

 結論から言えば、おれは『イリヤの空、UFOの夏』は、「死」という巨大なテーマを扱ったものであると、考えている。 明確な生死の描写がない伊里野の結末を、死んだとするのもそのためである。

 「死」を扱う作品は数あれど、この作品が他とは一味違うのは、浅羽が伊里野を救うことにより、結果的には伊里野が死んでしまうところだろう。上記の文章から分かる通り、伊里野は最後には浅羽に救われていたのかも知れない。しかし、伊里野は本当に救われていたのだろうか。救われていたとして、結局は死んでしまうのならば、それは本当に救われたと言えるのだろうか。

 おれは思う。そんなことは、誰にだって分からない。これは、何も思考を放棄しているという意味ではない。誰かが死ぬ瞬間、何を思い、何を考えていたかなど、その本人にしか分かるわけがないのだ。それ以外の人間が、あれこれと考えて、救われたのか救われなかったのかを判断することなど、ただの押しつけでしかない。それは、物語の登場人物だろうが、現実の人間だろうが、同じことだろう。だから、この作品では最後まで、伊里野の結末は描かれなかったのだと、おれは考えている。