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トカトントン - 太宰治(1947)

 『トカトントン』は、虚無感に苛まれて日々生きている人に是非読んで頂きたい、短編名作である。話の筋は、「何かに感激し、奮い立とうとするたびに、トカトントン、という金槌で釘を打つ音の幻聴がして、それを聴くと、忽ち何もかも虚しくなってしまう」という苦悩を抱えた男が、太宰の元に相談の手紙を出して来たという物語である。しかしもちろん、ただ「虚しい、虚しい」と言うだけで終わるような凡作ではない。太宰は、この苦悩にしっかりと答えを出している。

 拝復。気取った苦悩ですね。僕は、あまり同情してはいないんですよ。十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです。

  男は、何かを失敗して、醜態を晒すことへの恐怖から、トカトントンの幻聴など、言い訳がましい御託を並べて、実行から逃げているだけである。真の思想とは、ただ頭のなかで思考するだけではなく、それを実行できてこそ成り立つのだ。と、太宰は言う。

マタイ十章、二八、「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」この場合の「懼る」は、「畏敬」の意にちかいようです。このイエスの言に、霹靂を感ずる事が出来たら、君の幻聴は止む筈はずです。不尽。

  おれはマタイ十章、二八を「例え行動が出来ても、精神が伴っていなければ意味はない。心より何かを行える人間を尊敬せよ」と解釈している。「真の思想は、叡智よりも勇気を必要とする」ことからも分かる通り、思想とは、実行だけでも、思考だけでも、それは真実ではなく、二つを両立してこそなのだ。そして、それを真に理解したとき、トカトントンの幻聴など止むだろう。と、太宰は言っている。

 おれはこの文章を読み、強く納得した。確かに、太宰の言葉や、マタイ十章、二八に霹靂を感じ、その理解を真に深めたとき、虚無感などは消えてしまう筈なのだ。おれは、これから先、この作品を忘れずに生きていきたいと思う。そのくらい、おれの心にこの作品は突き刺さった。重ね重ね言うが、『トカトントン』は、虚無感に苛まれて日々生きている人に是非読んで頂きたい、短編名作である。きっと、貴方の心にも突き刺さる筈である。